
賽銭するなら募金する(か、帰りにどら焼きでも買っていく)ほうが運も自分に戻ってくると思っている私たちだけれど、まあ散歩して血も巡りなんだか気分もいいので、姉が「ここは人肌脱ぎますか」というように意気揚々と財布をひろげて2円とりだした。
ふたり同時に放った1円玉が2枚、ちゃりんちゃりんと鈴のような音をのこして賽銭箱へ消える。
神様にとっちゃ1円だって1万円だって何の意味も持たない鼻くそみたいなもんだろうけど、やっぱりこうして目を閉じてほんの数秒の間何かを強く願うことって悪いもんじゃない。鼻くそもらったって神様はもちろん何もしてくれやしないけど、自分の夢だって世界平和だって、それを強く願うことって結局のところ自分自身への誓いみたいなものだ。
それを実現させるんだってゆう。
今日の秩父はなかなか冷え込んで、散歩で冷えた手足が温泉に心地よくしびれる。降り続く雨をひたすら静かに受け止める山々に、私たち姉妹のまとまりのない話も吸い込まれていくよう。これ以上望むものはないはずだけど夢は尽きないもので。「次はこれがしたい」「これはもっとああだったらいい」なんて夢交換してたらすっかりゆだってしまった。