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雑記帳

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$の山

Jan 27, 2020 | Uncategorized, ボリビア, 旅の便り

その昔、この付近のマラグアというところに巨大な彗星が激突しその強烈なパンチで押し上げられた山々からはかつて96パーセントという濃度の銀が採掘された。96パーセントって。ほとんど銀の塊じゃないか。その中心となったのがポトシにあるCerro Ricoという丘で、文字通り「リッチな丘」。スペイン軍に見初められたこの地は瞬く間に植民地政府の中枢となり、銀貨を製造するための巨大な機械が1年以上かけてヨーロッパからここへ運ばれた。当時大国であった中国もなんとポトシに銀貨の製造を依頼していたり、あのタージマハールを飾る銀もこの小さな丘から採掘され届けられたのだとか。とにかく世界中へものすごい量の銀が運び出されたわけで、ポトシの街が栄えに栄えたのは言うまでもない。POTOSIのアルファベットを重ねてデザインされたシンボルは現在も南米の通貨に多く残る。誰もが見覚えのあるドルのシンボル($)もPOTOSIのSとIから来ていると聞けば、この町がどれほどの存在感を示していたか少し想像がつく。町の中心に建つLa casa de la monedaはかつての造幣所。インテリを気取ったのは見た目だけじゃない半端ない知識を秘めたガイドが5人のラッキーな参加者を楽しませた。

翌日の朝はホステルで出会ったレアンドロと町の西に広がる鉱山の「ゴミの丘」を歩き、隣接する工場から鼻を突く強酸性の排水が下の町へじゃぶじゃぶと流れるところを激写し、ぜえぜえ言いながら丘を登って意外な場所にモスク風の教会を見た。オーストラリアを旅したときに母と興味本位でウラン鉱山を見に行ったが、立派なゲートは開かずその一片も姿を見せてくれなかったことを後になって思い出した。ここでは「ゴミの丘」が地図にもはっきりと載っている。すっかり裸にされたようなCerro Rico。現在は鉄やその他の鉱物を中心にまだまだ掘り続けられる。午後はばっちり衣装をきめて鉱山ツアーに参加した。アントニオお手製の巨大な金づちとダイナマイトをもって写真撮影。これ以上の観光客に誰が成れようか。小さな入り口をおりて暗く狭い通路を奥へ進むと閉所恐怖症でなくとも不安になる。後ろから声を掛けられて自撮りに忙しいもう一人の参加者が自撮り棒ごと飛びあがった。頭につけた懐中電灯が照らす空気にはシリコンを含む細かいチリが混じっていて、ところどころにアスベストの大きな結晶が散乱している。彼と同じく鉱夫だったアントニオのおじいさんもお父さんは灰の病気で亡くなったそう。鉱夫の定年はおよそ45歳。定年後ガイドをしているアントニオが猫も驚く猫背なのも何年もここで過ごしていたら説明はいらない。1日8時間ここで働くなんてとても想像できない。スペイン植民地化では原住民が現在よりもさらに危険で過酷な条件のもとで働かされ、ここで亡くなったたくさんの命の中にはアフリカ大陸から連行された人々も多くいたという。坑道は地下1㎞にまで伸びるがツアーが届くのは地下100メートルほど。1時間くらいだろうか、ツアーを終えて穴から出、恋しい青空を見た。

ポトシはいつも政治の舞台で、今日も広場では保健所への抗議デモが繰り広げられている。そうでなくても広場はいつも賑わって、三つ編みの女たちが器用になにか編みながらおしゃべりに講じる光景がそのまま額に収まりそう。「リッチな丘」からの坑道は広場の下にまで伸びているとアントニオが言っていた。こうして座っている下にも巨大な迷路を歩く人がいる。

因みにポトシの造幣局は1951年に閉局し、ボリビアの通貨は現在スペインで製造されている。「どうしてまたここでお金を作らないのか」と尋ねると、ボリビアにはそれほど貨幣が流通しておらず、ここで造幣しても1か月ほどで必要な分のお金が作れてしまうから効率的でないのだと、インテリが教えてくれた。現在のボリビアは、悪く言えば貧乏、よく言えば貨幣経済への依存が低い。少なくとも日常生活のレベルで言えば。

かつて貨幣社会のエンジンであった国は、現在そこから少し距離を置いたところにいるように見える。