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”National Sorry Day”

Feb 18, 2019 | オーストラリア, 政治, 旅の便り

7595D555-8DA6-43D4-A88F-6BB35DC85E33.jpgメルボルンで小学校の教員をしている友達。わたしは特に子供好きというわけではないのだけれど、定期的に彼女から子供たちのおもろ話を聞くのが好きだ。
 
オーストラリアには毎年5月26日に” National Sorry Day”というのがある。日本語で「ごめんねの日」ってことになるんだけど、実際それとはニュアンスがちがう。「I’m sorry.」ってもちろん謝るときにも使うのだけれど、例えば誰かが他界したときにもその家族だったり友達だったりに「I’m sorry.」なんて言う。ここではもちろん謝罪しているんでなくて、「あんたの痛み、伝わってまっせ」と、相手を慰める意味で用いるのだ。”National Sorry Day”に誰の痛みに共感しようかと言うと、オーストラリアの原住民(アボリジニ)にである。
”National Sorry Day”のある週友人の教える学校では、アボリジニの歴史を学ぶ特別授業をしたり、今も続く歴史問題や原住民の人権問題に関するディスカッションの場を設けたりしてけっこう張り切っている。それは言うまでもなく、子供たちが自分の存在する土地の歴史をよく知って考え、よりよい社会にしていけるようになのだけれど、侵略の歴史をたどる作業は若き心に無用な罪悪感を落としかねないので、ここでの”Sorry”の意味をちゃんと理解してもらうことがとても大事なのだと、どでかいファラフェルを頬張りながら彼女は言う。「なるほどなー」とこちらも負けずどでかいファラフェルを口に入れ、ふむふむもぐもぐと話もファラフェルも飲み下すのだ。
10歳11歳である彼女の生徒が原住民を殺したり支配したわけではもちろんないし、そもそも子供たちの人種やバックグラウンドも様々で、何ならアボリジニの子供だっている。”National Sorry Day”はオーストラリアのアボリジニが受けた暴力とその痛みをみんなで共感しようってゆう日で、私だってもちろん対象者なのだ。
気の進まない話や気まずい話が、先送りにしたがために肥大しますますややこしくなることってどんな場にもよくある。これを解消してくれるのなら罪悪感もありだけど、たいていの場合はその逆で、さらに跳ね返って痛々しい自己肯定願望を生むことも多い。不用意に植えこまれた罪悪感を克服することって、歴史問題を解決するヒントなんじゃないかと、彼女の生徒らに子供時代の自分自身を重ね合わせてつくづく思った。戦後に生まれ戦後を生きる私たちに必要なのは、罪悪感よりも共感なのだよね。
そんなことを思い返していたら、ファラフェルの口になってきた。